過去の成功体験を・・・・って言う事ですが・・・成功とはもちろん思ってないので・・・・ 

 ・・・あえて振り返ると・・・

 抜型メーカーとして立ち上げ当時、当社は地場産業の山中漆器業界で売上の70%を占めました。

 当時、山中漆器業界はブライダルギフト市場(引き出物)の多分70%位のシェアーが有り大変に勢いが有りました。

 ABS樹脂製の器物から始まりハンドクリーナーや回転置き時計などヒット商品を次々と出し、其処からデザイナーやブランドとの提携商品で爆発的に売れまくりました。

 1月の春商品の展示会と6月の秋商品の展示会前後の年間四ヶ月で当社は1年の売上の2/3をこなしてました。其れこそ眠る時間も無く求人もままにならず大変な思いで仕事をかなしていた訳ですが、其の繁忙期の仕事受注を断らなかった事から北陸3県の山中漆器パッケージ取扱業者からの受注を頂きました。

 この時分に売れる展示方法や包装形態提案を美大学生と連携して場合に拠れば器デザインまでこなしていました。

 「押入れ産業」との揶揄が有ったのは、何処の家庭でも引き出物としての山中漆器製品がダブり気味でいくつもが押入れに眠っていた事からでした。

 其の為に飽きられてきて段々と陶器の器やステンレス食器などにブライダル市場が多様化されました。

 そうなると山中漆器業界自体がABS漆器製造にこだわらなくなり、海外から安い木製品を引っ張ってきて売る様に成ったりで地場のABS樹脂産業がまず衰退いたしました。

 又、漆器会社自身も新製品を沢山作り、ヒットしない状況が・・・この時分が当社は山中漆器産業での売上ピークでした。

 ただ、売れていない状況を感じると「これは長く続かない!」との思いからピーク時直後から業界紙に出した広告が「抜型業界への挑戦状」だった訳です。

 当時は全国的にまだまだ短納期対応の抜型メーカーが不足気味で全国から仕事が押し寄せてきました。

 当時の当社はその量を歯を食いしばりこなしていましたが地場紙器メーカーさんからは「仕事が一杯なのにどうして地場の仕事で満足出来ないのだ?」と非難も有りました・・・・が私は山中漆器の急落が目に見えていた事から納期対応に対しての不満が出ない様に人員拡大や設備投資を次々に推し進めました。

 この時分の山中漆器の衰退を平然と垣間見る事が出来たのはすこしずづ全国展開への受注にシフト出来た事でした。

 其の後のバブル崩壊以降の抜型メーカーのダブり気味には方向転換で段ボール打抜き技術特化など・・・

 自分で言うのも何なんですが危機に対しての嗅覚は鋭い方だと考えていますが・・・現在の事を考えると面目有りません(笑